松本敏之著『ヨハネ福音書を読もう上 対立を超えて』 古谷正仁評
松本敏之著 『ヨハネ福音書を読もう 上 対立を超えて』
(日本キリスト教団出版局、2021年)
「キリストという鏡に照らして生きる」人生への招き 〈評者〉古谷正仁
著者の松本敏之牧師はとても愉快で優しい方である。初めてお会いしたのはもう20年以上前だろうか、若手牧師が出身神学校を越えて学ぶために集まっていた「礼拝研究会」の例会であった。集まった者たちと同年配か少し若かったのではないかと思うが、落ち着いた物腰で我々の「やんちゃな」発言もやんわりと受け止め、良き方向に導いて下さる思慮深さがあった。しばらく後、私が関わる神学校の全校修養会の講師としてお招きした時には、学生たちの心に届く深い神学理解に基づく講演の合間に、皆の爆笑を誘う「一発芸」を披露して下さり、学びだけでなく人間的な魅力でも私たちの心を捉えた。
以来私も松本ファンの一人となり、彼の著作なら迷わず購入することにしている。本書は『恩寵と真理』誌(同信社)に掲載された「ヨハネ福音書を読もう」に加筆し、引用する聖書本文を聖書協会共同訳に改めたもので、ヨハネ福音書の10章までが41の黙想によって扱われている。カバーには渡辺総一画伯による「和解をしなさい」が用いられている。カバーを見るだけで本書のメッセージが伝わってくる、素晴らしい選択と感じた。
41の黙想はいずれも優しく丁寧な語り口の中に、深い聖書解釈に裏打ちされた適切なメッセージが示されたものである。著者による説教を毎週聞くことができる鹿児島加治屋町教会の信徒の方々はなんと幸せなことか。自分が牧師であることを忘れ、そんなことを思いつつ読んだ。
一例を挙げよう。本書の副題でもある「対立を超えて」と題する黙想は4章19~26節を扱ったものだ。冒頭で著者は、主イエスがサマリアに赴かれたのは単にサマリアの女性と出会うためだけでなく「もっと大きなレベルで言えば、サマリアとユダヤの対立を克服されるためであったということもできるでしょう」(99頁)と述べる。福音を個人生活のレベルに焦点を合わせてしまいがちな私たちに、大きな視野が提供される。そしてユダヤ人とサマリア人の対立の根について歴史的な観点から簡潔に語られた後、サマリア人の女性による20節の発言を受けてこう述べる。「彼女はどちらが本当の礼拝の場所か、ということを尋ねましたが、主イエスはそれに対して『救いはユダヤ人から来る』(22節)という聖書の歴史を踏まえつつ、それを超えたところからお答えになりました。そうした二者択一そのものが問題なのであり、そのような発想そのものを退けられたと言ってもよいでしょう」(101頁)。対立を超えるには、二者択一へのこだわりを捨てることが大切なのだ。そして「今の世界は、分裂・対立の方向、自分と違った相手を自分の支配下におこうとする方向と……お互いに生かし合って生きようとする方向、この両方の方向を含みもっていると思います。そういう中で、果たして神様はどのような世界を望んでおられるのかということをたずね求めなければならないでしょう」(103頁)と結ばれる。私たちが向き合うべき課題が示されるのである。
一見難解なヨハネ福音書の世界を、著者という良きガイドから学び、多くの方々と「キリストという鏡に照らして生きる」(224頁参照)人生の旅に、共に出発したい。
(ふるやまさよし=蒔田教会牧師) 「本のひろば」2022年4月号掲載